サブカルクソ働き蟻とキリギリス

ある夏の日、とある草むらで、蟻の群れがせっせと働いておりました。

その横では、キリギリスが楽しそうに歌っています。

「こっちに来て、いっしょに歌いませんか」
キリギリスが蟻を誘いました。
「いいえ、わたしは歌うことができません」
誘われた蟻はうつむきました。
「そうだそうだ、蟻には歌なんていらないぞ」
他の蟻たちがはやしたてます。それを聞いて、誘われた蟻は悲しくなりました。
蟻は、本当は自分も歌いたかったのです。でも、蟻には歌うための器官がありません。
(どうして自分は蟻なのだろう。キリギリスに生まれて、あんな風に歌ってみたかった)
蟻が憧れるのはキリギリスだけではありません。軽やかに舞う蝶、風を切って飛んでいくトンボ、大きくて力強いカブトムシ。蟻の目には、どれもこれもとても美しく輝いて見えました。
けれどそのことを、仲間の誰にも言ったことはありませんでした。
 
そして秋がやってきました。実りの頃を迎え、蟻たちは大忙しです。その横ではやっぱり、キリギリスが歌っていました。蟻はちらりとそちらを見ては、黙って通り過ぎるのでした。
やがて日に日に寒さは増して、食べ物も少なくなってきました。それでも蟻たちは、冬に備えてせっせと働き続けます。
そんな中、蟻はあることに気がつきました。
キリギリスの歌が聞こえません。
巣に帰って、蟻は仲間たちにキリギリスのことを聞いてみました。
「ああ、そういえば聞こえなかった。きっと腹が減って歌えないのだろう」
「なんだって」
「まあいいじゃないか、働きもせずに霞を食って生きてきたのだから、冬も霞で乗り切ればいいんだ」
その日の食事は味がしませんでした。まったく食欲もありません。いつもなら働いた後の食事はとてもおいしいのに、どうしたことでしょう。
その時ようやく、蟻は気がついたのです。自分がどれだけ、キリギリスの歌を聞きたかったのか。
 
真夜中、蟻はそっと巣を抜け出しました。手にはたくさんの食べ物を持って。
草むらを覗くと、そこにはキリギリスが倒れていました。
「キリギリスさん、どうかこれを食べてください」
蟻が食べ物を差し出すと、キリギリスは弱々しく目を開きました。
「蟻さん、これはあなたの食べ物ではありませんか」
「わたしはまだ食べ物がありますから大丈夫です。これはあなたの分です」
「いいえ、いただくわけにはいきません。わたしは働きもせずに歌って過ごしてきました。だから罰が当たったのです」
「罰ですって」
蟻は叫びました。
「働きもせずですって。キリギリスさん、あなたは何もわかっていない。美しいあなたの歌が、どれだけわたしの毎日をいろどってくれたことか」
「でも蟻さん、歌などなくても生きていけます」
「たしかに、歌などなくても、食べ物だけで生きていけるひとたちは大勢います。でも、あなたは歌わなければ生きていけなかった。そうでしょう。たとえ食べ物を犠牲にしても」
蟻は泣きながら食べ物を押しつけました。
「そして食べ物がなければあなたが死んでしまうように、あなたの歌がなければわたしは死んでしまう」
「蟻さん」
「そういう蟻もいるのです。そういう蟻も、いるのです」
キリギリスはしばらく黙っていましたが、やがて、そっと食べ物を受け取りました。
「ありがとう、いただきます」
そして食べ終えると、美しい声で歌い始めました。
蟻は静かにその歌を聴いていました。ふと横を見ると、見たことのない蟻がやはり、食べ物を持って座っていました。
「わたしも、この方の歌が聞きたくて」
その蟻は恥ずかしそうに言い、蟻たちは目を見合わせてにっこり笑いました。
「きれいな歌ですね」
「ええ、そうですね」
 
ある秋の終わりの夜、とある草むらで。
蝶の舞を見るために。鈴虫の歌を聴くために。
トンボの滑空に心を踊らせ、カブトムシの強さに喝采を贈り。
食べ物ではない糧を得るために。
小さな蟻たちはそれぞれの巣をそっと抜け出し、食べ物を運んでいるのでした。
 
 
 
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すべてのサブカルクソ働き蟻どもに捧ぐ。
 
「人はパンのみにて生きるにあらず」を超訳した中島らもの言葉「霞を食って生きてはいけないが、たまには霞も食ってみろ」が座右の銘です。
そんなわけで本年も、キリギリスさんの歌や蝶々さんの舞が生み出すおいしい霞を食うために働く所存であります。