#氷艶2019 -月光かりの如く-を語る

氷艶2019 -月光かりの如く-を7/27夜の回に見てきました。

もうさんざん話題になってますが凄かった。物凄かった。いや氷艶が凄いってのは前回の氷艶2017を見た時から充分わかってはいたのですが、今回は更に輪をかけてとんでもなかったです。
スケーターがお芝居をする、俳優がスケートを滑る。それだけでも凄いのにすべてが自然に混ざり合っているんです。見ていてこの人はスケーター、この人は俳優と分ける必要がなくて、全体で「氷艶」というカンパニーになってたんですよ。「頑張って異種分野に挑戦」感がない。それでいて歌手には歌の、スケーターはスケートの見せ場があり、それが物語の流れの中で浮かずになおかつ重要な楔になっている。

そして主演の高橋大輔選手…そう選手…現役の選手なんですよ…やばかったっすね…
前日に既に喋る!歌う!という情報は入っていたものの、実際に見たら想像を遥かに超えて堂々たる「主演」やってましたからね。「推しがお芝居と歌に初挑戦!」とかそーゆーレベルで語れるもんじゃないの。声の出し方とか喋り方とか通常の高橋大輔と全然違うし、スタンド席だったから最初喋ってるのが光源氏だと気づくのにツーテンポぐらい遅れたからね。「えっ会話の流れ的に今のは光源氏の台詞だけどマジで光源氏喋って…ウェッ!?マジだ…!!」って。予備知識がなかったら完全に吹き替えだと思ってましたよ…
あと歌も凄かったんですよ…ほんっとに…まあそれはこんな文章読むより【9月1日のテレビ放送】を実際に見て頂くとして、ですね。
とにかく高橋大輔光源氏だった。高橋大輔の本質と重なる光源氏で、と同時に光源氏の本質をもとらえていた。憑代の魂と降ろした魂とが渾然一体となってるみたいで、おそらくそれこそが演出の宮本亜門さんの狙いだったのだろうなあ。
まっすぐで不器用でいたいけで、愛嬌があって割と強情で、気を許した相手には「甘えた」で、暖かみがあるのに影があって、ついつい放っておけなくなってしまう。
だから見ていて藤壺が惹かれてしまったり、頭中将が何としても守らねばと思ったり、都の人々が愛さずにいられないのがすっげー理解できたんです。っていうか都の人々、俺らかよ。

そしてそんな光源氏、事前に公開された烏帽子姿の、誰もが思い浮かべる「ザ・光源氏」なビジュアルになったのは、劇中ただ一度だけ。若宮のお披露目の時だけだったのですよ。それ以外はずっと、少年のような垂髪で。
これが実に光源氏の本質がビジュアルでも伝わってくるんです。もしかしたらあの氷艶世界の人々にはちゃんと烏帽子姿の光源氏が見えているのかもしれなくて、観客は剥き出しの魂の姿を見させられているのかもしれない。そんな風にさえ思えてきました。
そして孤独を抱えた少年のままの魂が彷徨っているのだとすれば、その元である「源氏物語」の光源氏が「ああいう」人だというのもすとんと腑に落ちる気がするのです。

と、ついつい高橋光源氏について熱く語ってしましましたが、前回の氷艶2017と今回の氷艶2019には明確な違いがあって、今回はツイッターやブログで
「ストーリーや登場人物の内面について語りたくなる人が多い」
んですよ。
前回はぶっ飛んだ設定ながらも物語はストレートな勧善懲悪スペクタクルで、そのスペクタクルに酔いしれたり高橋大輔演じる源義経に性癖を乱される岩長姫に共感(…)したりというシンプルな娯楽作品の楽しみ方だったんですが、今回はあれだよ、オタクが思わず行間を読みまくりたくなるタイプのやつ。確かに物語進行は強引だけどその根底にある乱れ飛ぶクソデカ感情の一方通行の矢印が!誰も報われないし救われない一方通行のクソデカ感情の大渋滞が!オタクの心を!直撃する!!!!!!!!

だから今年の氷艶ロスは2017年版のとはちょっと毛色が違っていて、2017年の時はあの世界そのものが恋しいって感じだったけど、2019は登場人物それぞれの生き様と想いがずっと心の中に残っていて、ふとした瞬間に思い出して何も手につかなくなったりする感じ。時間さえ許せば長文でキャラ語りしたくなる感じ。


今なら俺は!菅原孝標女の気持ちが!!!超わかる!!!!!!


そういった点でも、元の「源氏物語」とはかけ離れたストーリーでありながら、本質的なところはやっぱり捉えてる気がするなあと思ったりしたのでした。

↓こんな風にオタ語りをせずにはいられないのだ…