犬王見届けてきた!

(同じ内容のものをnoteにも投稿しています)


犬王見てきました!何とか予定つけて行けたのが最寄り(隣県)上映館の最終日でした、あぶねーあぶねー。


原作既読で見たのですが、まず思ったのが原作の再構成うめえな!というところ。
カットするところはばっさりカットし、重要な場面は丁寧に描写し、入り組んだ構造の原作を組み直して一本の線にしつつ犬王に関するネタバラシを最後に持ってくる。そして「地の文」が特徴的であり肝である原作小説から、言葉、情景、音、人々の思いを見事に汲み上げて映画として構成している。古川日出男ファンとして言います、ありがとう!超ありがとう!!

で、物語の再構成にあたって原作よりもはっきりと具体的にわかりやすく、叛逆の物語であることが示されている。それゆえの、叛逆の象徴だった時代の(令和の若者には古臭く聞こえる危険性もある)ロックモチーフでもあるのでしょう。むかし、新しいことをやる奴らがいた。負け犬の思いを届けた。俺たちはここにいると叫んだ。うんロックだわこれ。

で、その「ロックであること」の説得力を持たせるのがですね、演者の声!
アヴちゃんはアニメどろろのOP曲で知ってワックワクに期待してたのですが、期待以上にもんんんの凄かった!!!うん俺も当主じゃなくて犬王の方の舞台見に行くよ絶対、と思わせるこの説得力な。そして森山未來ー!アクションできて落語できて歌までうめえのかよー!!何物持ってんねーん!!!
そしてこの二人のデュエット曲である竜中将の美しさよ…!!そりゃもう平家も成仏しますわって感じで、でも俺が平家だったらもっと聞きたくてちょっと憑いちゃうね。ごめん犬王。髪の毛一本分ぐらい許して。

映像としては友一/友有が路上ゲリラライブで犬王が野外劇場でのパフォーマンス(昔維新派という劇団が大好きだったのですが、それを思い出しました)といったところ。なんぞこれ!?という舞台演出も、よく見ると人力で仕掛けがあって「本気でやろうと思えば実際にできるのでは…???」と思わせるギリギリのラインを攻めてるのがうめえなー!と思いました。

その犬王のパフォーマンスなんですが、異形であるがゆえの動きを取り入れたトリッキーな「腕塚」から「鯨」を経て「竜中将」へと、「人体の美しい型」にどんどん変化していく。美しい形を手に入れて、美しい型を表現していくようになる。人の形から逸脱していたものが、人の型の美へと凝縮されていく。それゆえのバレエの「型」なんだと思うんですがそこらへん実際どうなんですかね。

最終的に犬王は完全なる人体を手に入れ、と同時に時の権力者によって「定本」から逸脱したものを演じることを禁じられてしまうわけですが、そこでちらりと映るのが無音の中で我々が知る能の「型」を舞う犬王の姿で…ウッてなりましたね…おま、これ予告編ラストのやつじゃん…よ、よくもこのシーンを使ったもんだな足利め…!!(足利関係ない)(いや関係ある)

あと友有が最期に友魚と名乗ったのは原作と映画では反対の理由っぽいのですが(映画では「友有」であることを許されない諦念だったように見えたけど、原作ではあえて自らのルーツを名乗った)そこらへんどうしてなのか聞いてみたい。多分ラストの再会シーンのためだとは思うんだけども。

ラストの再会で友魚/友一/友有の鎮魂が成り、全体を通した「語られざる者たちの鎮魂の物語」が完結する、というのも凄く好き。
そうそうこの再会シーン、映画も良かったけど原作も素敵なので未読の方はぜひ読んでみて下さい。多分映画の犬王も「ちょっと待って」って言ってから来たんだと思うよ!!


(ひとりごと)
ところで高橋大輔ファンの俺、大輔さんに犬王見てもらいたくてたまらない。大輔さんガチめのアニオタだからアンテナには引っかかってると思うんですよ!来月帰国した際にはぜひ!見てほしい!っていうかぶっちゃけ竜中将を滑ってほしいーー!!!