混沌じょのいこ。

だいじょうぶだ、おれはしょうきにもどった!

フジテレビ、もったいないオバケが出るぞ(9/5 色々追記)

アキレアの橋を見た。
色々と残念な作りの番組だった。

前々から引退後の仕事を見るにつけ、フジテレビは高橋大輔の使い方がヘッタクソやなあと思っていたのだが、その理由がこの番組を見てわかった。
他局は引退後の彼を、ある局は未知へ挑み続ける者として、またある局は優れたパフォーマーとして扱ってきたが、フジテレビだけが「現役を引退したスポーツ選手」つまり「第一線を退いた者」としての扱いなのだ。
フジテレビは長年全日本選手権や世界選手権を放送してきた局だが、それゆえに「現役」にこだわりすぎて、その結果として高橋自身の現在にも未来にも興味がないように思える。
現役を主体にした番組ならばそれでもいい。現役で頑張っている選手をメインにして番組を作り、そこに「脇」として高橋のインタビューやコメントをさしはさんでいけばいいのだ。地上波でやっているように。
ただ今回は高橋大輔がメインの番組だったのに、あまりにも「かつて一時代を築いた過去の英雄」扱いしすぎていた。ナレーションの「温故知新」という言葉にもそれは現れている。
そこが、現在進行形で彼の挑戦と進化と底知れないポテンシャルを見続けている者としては違和感を覚えずにはいられなかったし、とてももったいなく思えたのだ。

また、この番組に関して「グラジオラスの轍」のアカウントが宣伝ツイートをしていた。
グラジオラスの轍といえば、2012年のNHK杯に「観客は世代交代を望んでいた」というナレーションをつけて物議を醸した番組だ。
そして、そのあたりから世代交代を煽る報道が加速していき、ファンの間にモヤモヤが広がっていった記憶がある。
このような「勝手に世間の声を代弁する」手法は、とても卑怯だ。
何のことはない、高橋自身に「本当に応援されいてるのかわからなくなった」と自身喪失させ、またファンたちにも不安と不信を抱かせたのは、マスコミの作り上げた「世間という空気」だったのだから。

今回もまた、同じようなナレーションがあった。


「世間は悲劇ととらえていました」


世間?世間とは何だ。それは単なる憶測ではないか。このドキュメンタリー番組を構成した、あなたの、こうに違いないという思い込みではないか。
少なくとも俺は悲劇とは思わなかった。全然諦めてなかった。あんな真の意味でのプライドを持つ人を可哀想がるなんてそんな不遜なことできるかよ。
俺は世間様には入らねえのか?違うだろ?
だから思い込みのナレーションは一人称で語ってくれよ。「われわれ取材班は悲劇ととらえていました」と。

そう、高橋大輔を悲劇のヒーローとして扱いたいのは制作側、あなたがただ。だからバンクーバー以降の、絶好調でプログラムも攻めまくっていた2011−2012シーズンの映像はない。あの伝説の、全日本の道化師もない。二度目の怪我をする直前の、NHK杯の完璧な演技もない。ただ「若手に追われるベテランの悲劇」というドラマを強調するための、不調だった演技だけがつなぎ合わされる。

余談になるが自分は福島県民であり、震災後の「作り手の結論ありきの悲劇」を押しつけてくるドキュメンタリーにさんざん怒ってきた。勝手に明後日の方向からオレらの代弁をするんじゃねえ、と。だから余計に、この手の「作り手の結論ありき」のドキュメンタリーには拒否反応が出るのだ。


ただ、野村忠宏さんとの対談はとても良かった。だから、欲を出して余計な編集とナレーションを加えたドキュメンタリーなど作らず、ただ映像を流してそれを見ながら2人が話す、それだけでとても見応えのある番組が作れたはずだ。


だから結論としては、



長いこと全日本の放送してたり何回も密着取材したりしてお宝映像山ほど持ってんのにもったいねえ使い方してんじゃねえーーー!!!!




(昔こんな記事書いてた。そうだ俺は単純に、高橋大輔を悲劇の人として扱われる、可哀想扱いされることがいやなんだ)



ちなみに高橋大輔ドキュメンタリーの最高峰はこれだ(制作・関西テレビ